[045]現代編 第三十五回  珠理×鬼畜【中】

世界の歪みは… The secret(s) of the world(s)
  作:猪使華佗枯(いのづかい・かだこ)

【凡例】[ふりがな]/(注や心の声など)/※ネタバレや補足説明など


現代編 第三十五回  珠理×鬼畜【中】

1989年(平成元年)7月5日(水曜日)。東京の梅雨はまだまだ明けそうにない。それにも関わらず、今日は今月最初の夏日である。加えて、参議院議員選挙の公示日でもある。選挙カーが候補者の名を唱えながら行き交っているのが、鬱陶しさを増幅している。

高田馬場駅から早稲田通りを穴八幡宮方向に少し行ったところに、コンビニエンスストアを下駄履きした小ぎれいなマンションがある。店も、店の前の通りもいつも人で賑わっている。

午後七時を少し過ぎた頃、店長が、店の外を歩いている人の異変に気付いた。店の外に出てみると、泥酔したのか、老人が店の壁を背に、足を投げ出し座っていた。近づいてみると、失禁しているようだ。まず、店長は、後始末のことを心配した。次に、その老人を起こそうしたが、老人が起きることはなかった。

救急車とパトカーが来た。店長は、事情を聞かれたが、そんなことよりも、早く掃除がしたかった。臭うのだ。

老人は心肺停止状態で搬送され、病院で死亡が確認された。身に着けていたものから、目黒区在住の両角神一郎、六十九歳。バッジは着けていなかったが、職業は弁護士だった。家族に確認してもらったところ、本人でまちがいないという。ただ、なぜそんなところにいたのかはわからないが、仕事上の調査でもしていたのではないかということだった。その後、解剖が行われ、事件性は認められず、死因は“心不全”で確定した。


同日。西新宿の名画座で二本立て上映の最後の回が終わった午後十時過ぎ、従業員が館内の清掃を始めると、スクリーンの反対側の壁際にしゃがんでいる男をみつけた。壁際に男達がいるのは、ここでは当たり前のことである。迷惑な話だが、ここはそういう映画館なのだ。

従業員がその男を立ち上がらせようと腕を掴むと、男はその場に崩れ落ちた。異変を感じた従業員が、男のほほに手を当てると、まさに氷のように冷たかった。

救急車とパトカーが来たが、救急車はすぐに帰った。男はその場で死亡が確認された。この時期の映画館は、冷房をガンガンに効かせているので、死亡時刻を正確に割り出すのはむずかしそうだ。なお、亡くなっていたのは、港区在住の与田・パトリック・研二、三十五歳。テレビ番組で人気の弁護士だった。


この日、都内では二人の弁護士が行き倒れた。両角神一郎の死は、法曹界では大きな話題になったが、一般ウケする話ではないので、翌日のテレビの朝のワイドショーで取り上げられることはなかった。それに対して、与田・パトリック・研二の死は、各局が扱った。どの局も素材は豊富に持っていたし、なによりも人気者だったからである。

そんな1989年(平成元年)7月6日(木曜日)、昼のワイドショーで、大きな事件が起こった。新宿二丁目で“歌姫”として知られている“男”が、与田・パトリック・研二が死んでいた名画座が“発展場[はってんば]”として有名であることを、生放送でついうっかりしゃべってしまったのである。


問題の生放送が流れていた頃、ライターの鳩丸豆男、もちろんペンネームである、は高田馬場にいた。両角神一郎が死んだコンビニエンスストアは、学生時分からの行きつけで、店長とも顔なじみである。与田・パトリック・研二の取材に行きたかったのだが、お鉢は回って来なかった。鳩丸豆男に与えられたのは、与田・パトリック・研二と同日に死んだ同業者の周辺取材であった。

休憩時間を利用して、店長から、その時の様子を聞いたが、店長は大変だった掃除の話をするばかりだった。収穫はなさそうだと鳩丸豆男は思ったが、念のため、死んだ両角神一郎とは面識があったのか聞いてみた。なぜか店長は、両角神一郎の顔を知っていたのである。というのも、両角神一郎の若い娘が上のマンションに住んでいるとのことだった。

しかし、鳩丸豆男が調べたところによると、両角神一郎には、息子はいるが娘はいない。その息子たちにしても、すでに三十代半ばである。決して若くはない。

鳩丸豆男は、店長のつてで、その若い娘に話を聞くことが出来た。鳩丸豆男が予想していた通り、若い娘は両角神一郎の愛人であった。生活全ての面倒見て貰っていたという。さらに、お腹には、両角神一郎の子供もいるという。しかし、まだ認知してもらえていないという。今後、どうやって生活していったらいいのか、途方に暮れていた。

鳩丸豆男は、聞き上手なようで、さらに詳しい話を聞くことができた。それによると、二人の関係は、両角神一郎からの無理矢理だったという。それは彼女が高校生の時だったという。そして、すでに二度、中絶させられており、この子だけは産みたいと頼んだが、認知は絶対にしないと言われたという。そして、もし、その子を産んだら、援助も打ち切ると言われたという。もちろん、“死人に口なし”なので、どこまでが事実なのかはわからない。

さらに、近々簡単な認知調停がはじまること。そして、そこでは、与田・パトリック・研二と一緒に仕事をすることを自慢げに話していたという。つまり、同じ日に死んだ二人の弁護士には、仕事上の接点があったのだ。


同時刻、いつも鳩丸豆男がネタを持ち込んでいる週刊誌編集部では、ひとつの騒ぎが起きていた。与田・パトリック・研二の周辺取材、ただし、取材開始時点では問題の昼のワイドショーはまだ始まっていなかったが、の中で、担当する調停の関係者(相手方)の親族が合わせて二人、それも与田・パトリック・研二よりも前に、亡くなっていたことがわかったのである。警察発表によると、ともに死因は心不全だという。

鳩丸豆男が高田馬場で仕入れたネタを週刊誌編集部に持ち込んだ時点で、調停関係者(相手方)が、調停開始前に、少なくとも四人死んでいることがわかった。ただし、なぜか、問題の認知調停の申立人に関しては、“慎重に扱うこと”が、上層部により厳命されていた。ちなみに、すでに問題の昼のワイドショーは終わっていたが、放送内容を知るものはここには一人もいなかった。


与田・パトリック・研二は、既婚者で娘が一人いる。妻によると、研二は、朝しか行為を求めなかったという。結婚する前を含めて、朝以外に行うことはなかったという。そんな下ネタが、夜のニュース番組で、なぜか流れた。そして、ゲストのコメンテーターが、

「ゲイの連中って、“朝立ち”のときしか、女、抱けねいから…。」

といった瞬間、画面がCMに切り替わった。九十秒のCMが開けると、ゲストのコメンテーターの姿はスタジオにはなく、メインキャスターが、お詫びのコメントを述べ始めた。


その頃、件の週刊誌編集部に連絡が入った。調停関係者(相手方)で唯一生き残っていると思われていた女性が、すでに死んでいたのである。編集部が気付かなかったのは、彼女が仕事時は旧姓を名乗っていたことと、死んだ二人の弁護士に取材を集中させていたため、他の者については、現場には赴かず、警察発表のみに因っていたからであった。これで、調停関係者(相手方)のうち少なくとも五人がすでに死んでいたことが編集部の面々にもやっと伝わったのである。


1989年(平成元年)7月7日(金曜日)。七夕。調停初日はこの日に予定されていた。相手方は、急遽、新たな弁護士を立て、調停に臨むことになった。

そして、朝のワイドショーでは、与田・パトリック・研二は、同性愛者であり、結婚はそれを隠すための、いわば“偽装結婚”であるというのが、既成事実として語られ始めていた。加えて、両角神一郎については、愛人の証言が全面的に採用され、“権力を笠に着たクズ弁護士”とか“エロジジイ”という表現が使われだしていた。

社会的知名度が低いにも関わらず、両角神一郎への風当たりは強かった。その背景にあったのが、現職総理の女性スキャンダルである。現在この国の総理大臣をやっている男が、以前、神楽坂の芸者を愛人にしていたことが、当の愛人により、つい先日暴露されたばかりである。権力を持つ男が、カネで女を私物化するという旧時代的行為に対する嫌悪感が世論、特に女性たちの間で蔓延していたからである。


その日、鳩丸豆男は、厳命を無視し、問題の調停を申立てた女性宅があるマンションへ向かっていた。申立人は、二十二歳の大学生だという。しかし、自宅には居なかったが、居留守というわけでもなかった。管理人が居場所を教えてくれたのである。さらに、地図まで載ったチラシをくれた。管理人によれば、取材の人がやって来たら、渡して欲しいと本人から頼まれたという。ちなみに、チラシを受け取ったのは、鳩丸豆男が五人目だそうだ。

鳩丸豆男は、そのチラシを頼りに現地へむかった。ところが、目的の家からまだだいぶ離れている場所で、知り合いの同業者に止められた。彼によると、ここより家に近づくと、警察に排除されるという。すでに、テレビカメラのクルーなども排除されているという。

鳩丸豆男もチラシを見た時から、予想はしていた。ここらは、自分たちが自由に取材出来るような場所ではないのだ。それでも、張り込みだけはしようと思った。たぶん、隣にいる同業者もそう思っているのだろう。


その頃、家庭裁判所では、認知調停が開かれていた。そして、異例のことだが、十分とかからず、調停は成立したのである。ある意味これは当然のことであった。なにしろ、相手方でこの調停に反対していた者、および、それらに雇われていた有力弁護士も、すでにこの世の者ではなかったからである。

調停の結果は直ぐに、裁判所の前で待機していた有象無象の者たちにも伝わった。しかし、申立て側の弁護士が、その者たちの前に現れることはなかった。

というのも、申立て側の弁護士は、とても急いでいたのである。調停成立後、直ぐに裁判所の通用門から出、すでに揃っている書類を持って、当該区役所へ向かっていた。

弁護士は、区役所での認知手続き完了後、申立人に電話連絡し、調停の成立と認知手続きの完了を伝えた。そして、一、二週間後には、戸籍に反映されることも合わせて伝えた。

ちなみに、調停成立に呼応するかのように、スポーツ紙の中には、五人の死を“天誅[てんちゅう]”と表現しているものさえ現れた。このように、問題の認知調停をテレビ、新聞、週刊誌等が扱う場合、常に申立人が“善”であり、相手方が“悪”であるという図式が成立しており、それに異を唱える者は見当たらなかった。


この時点で、この五人の謎の死を生んだと思われる認知調停に関する主な取材対象は、調停を申立てた側の弁護士一人に絞られていた。なぜなら、どこの社も、申立人本人への取材のみならず実名報道が、どこからかの力によって禁じられていたからである。

ところが、その弁護士がつかまらない。アポがとれないどころか、居場所すらわからないのである。そんな中、とあるテレビ局の者が、ダメ元で弁護士の事務所に電話すると、なんと、弁護士本人が出たのである。取材を申し込むと、あとの予定が詰まっているので、時間はあまりないがそれでもよければということになった。

テレビカメラのクルーは、当然、弁護士の公式プロフィールには目を通している。しかし、プロフィールに載っている写真ほど当てになら無いものがないこともまた十分知っている。

そんなクルーが着いたのは、古ぼけた雑居ビルの前で、事務所はその二階だという。チャイムを押すと、女性弁護士が現れた。クルーの男性陣の頭には、皆同様に一つのことわざが浮かんだ。“掃き溜めに鶴”

撮影のために、入口近くのパーティションとソファーが退けられた。そして、通常のライトだけでなく、予備のライトとレフ板二枚が追加された。まるでテレビドラマのようなライティングである。

この美人弁護士に聞ける話は、実はほとんどなかった。というのも、調停の相手方の死んだ五人とは、誰とも面識がなかったからである。加えて、死んだ五人全てに関して、警察発表では、“事件性なし”だったからである。つまり、ありえない偶然が起こったという以外、解釈のしようがなかったのである。

取材後、美人弁護士は、クルーの全員に輝く笑顔で礼を言った。そして、これから、毎年行ってるオペラを観賞するために、成田へ出発しなければならないこと。これは、昨年予約したもので、キャンセルすると、来年以降チケットが手に入りにくくなること。そのため、取材時間が少ししか取れないことを詫びた。


表に予約しておいたタクシーが着いたようだ。美人弁護士の大きな旅行用スーツケースは、カメラマンが運んでいる。ディレクターは美人弁護士の手を取りながら、「ここの階段、暗いですから、気をつけて下さい。」と言っている。

事務所の入口では、弁護士とおぼしき男性が「気をつけて、いってらっしゃい。」と言い、手を振っている。

発車したタクシーを見送りながら、カメラマンが、「万歳!」と声を挙げ、万歳した。ディレクターもそれに呼応した。この美人弁護士に取材できたのは、自分たちだけである。加えて、美人弁護士は、このあと日本を離れるため、しばらくは、誰も取材ができないのだ。ディレクターは、心の底から「万歳!」を連呼した。


テレビ局に戻り、その旨を伝えると、偉い人達もやってきて、素材チェックが行われた。本来ならば、明日の朝のワイドショー用の素材である。が、今日深夜のニュース番組から使うことが、急遽決まった。合わせて、同局の人気番組には、死んだ与田・パトリック・研二の後釜として、この美人弁護士を使うことが内定した。

【続く】

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